「誰のおかげで飯が食えると思っているんだ」
その言葉は、長い年月をかけて私の心を少しずつ削り取っていきました。
昭和の価値観に縛られ、支配を愛と勘違いした夫。
そして“耐えることが妻の務め”だと信じ込まされていた私。
これは、35年間モラハラの檻の中で生きてきた一人の女性が、
熟年離婚をきっかけに、自分の人生を取り戻していく物語です。
もし今、あなたが「もう遅い」「今さら無理だ」と感じているなら、
この物語は、きっとあなたの胸の奥に静かに灯をともすはずです。
我慢の35年
「おい、誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ」
昭和の価値観のまま時が止まった夫に、三十五年間、家政婦のように尽くしてきた女がいた。
高田京子――当時五十九歳。専業主婦として家庭を守り続けてきたが、その実態は「守る」というより、耐え忍ぶ日々だった。
夫・俊夫は、典型的なモラルハラスメント気質の男だった。
毎月恒例のレシート検査では、生活費を最低限しか渡さないにもかかわらず、一円単位で支出を詰問する。
「大根が百五十円? 隣町なら百二十円だろうが」
たった数十円の差で、一時間以上の説教が続く。
節約が目的なのではない。京子を見下し、優越感に浸ることが彼の本質だった。
美容院は半年に一度、千円カットのみ。新しい服は何年も買っていない。
ある日、友人の娘の結婚祝いに、独身時代の貯金から五千円のハンカチを買った。それを見つけた俊夫は、無言でハサミを取り出し、目の前でズタズタに切り裂いた。
「これがお前の立場だ。よく覚えとけ」
床に散らばる布切れを拾い集める京子の胸の奥で、尊厳もまた切り刻まれていた。
それでも離婚に踏み切れなかったのは、専業主婦の自分には稼ぐ力がないという恐怖と、「娘のために両親は揃っているべきだ」という呪縛のためだった。
だが、本当の地獄は俊夫が定年退職してから始まる。
会社という「王様でいられる場所」を失った男は、行き場のない支配欲をすべて家庭に向けた。
一日中家にいる夫。
それは、京子にとって監視付きの牢獄生活だった。
高熱で寝込んだ冬の日でさえ、俊夫は心配するどころか枕を投げつけ、食事を要求した。その瞬間、京子の中で長年つなぎ止めていた情が、音を立てて切れた。
――この人は、私が死んでも文句を言うだけだ。
数日後、娘のマミが実家を訪れ、すべてを悟ったように母を抱きしめた。
「もう十分だよ。お母さんの人生を生きて」
その言葉が、京子の背中を押した。
翌日、俊夫の前に差し出されたのは、緑色の離婚届だった。
俊夫は腹を抱えて笑い、京子を無能呼ばわりしたが、彼女は静かに告げた。
「自由が欲しいんです」
俊夫は乱暴に署名し、紙を投げ捨てた。
京子はそれを丁寧に拾い、一礼して家を出た。キャリーケース一つの旅立ちだった。
離婚後の幸せな味
駅のホームで食べた百円のあんパンは、これまでのどんな高級料理よりも美味しかった。
それは、自由の味だった。
離婚後、俊夫の生活は急速に崩れていく。
家はゴミ屋敷と化し、食事はコンビニ弁当ばかり。孤独に耐えきれず婚活パーティーにも参加したが、誰にも相手にされなかった。
一方、京子は娘のマンションに身を寄せながら、必死に仕事を探した。
ようやく見つかったのは、小さなスーパーの惣菜コーナーのパート。
最初は厳しい指導に心が折れそうになったが、三十五年間作り続けてきた家庭料理の腕が、彼女を救った。
即興で作った煮物が評判を呼び、売り場を任されるようになる。
やがて大手食品会社から声がかかり、六十歳にして起業。
無添加弁当は全国的なヒット商品となり、京子は年商数千万円の経営者となった。
転落した夫
そして三年後――
都内百貨店での新作弁当発表イベント。スポットライトの中で語る京子の姿が、テレビに映し出されていた。
その映像を、薄暗い部屋で見つめる男がいた。
元夫・俊夫である。
会場に現れた俊夫は、なおも「育てたのは俺だ」と言い張り、復縁を迫った。
だが京子は、静かに言い切った。
「私たちはもう他人です。戻る場所はありません」
彼女の隣に立った同僚たちが、その言葉を現実として裏打ちしていた。
かつて「誰のおかげで飯が食える」と罵られていた女は、
今や多くの人の人生を支える立場に立っていた。
人生は、何歳からでもやり直せる。
そのことを、京子の背中は雄弁に物語っていた。
あなたへのメッセージ
もし今、あなたが
「自分には価値がない」
「もう遅い」
そう思わされているとしたら、それはあなたの本心ではありません。
誰かに押し付けられた言葉が、あなたの心に住み着いているだけです。
人生に、遅すぎる再出発はありません。
あなたが自分を取り戻すその一歩は、今日でも、明日でもいい。
どうか忘れないでください。
あなたの人生は、あなたのものです。


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